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僕がまだチビッコだった頃、テレビで「狼たちの午後」や「俺達に明日はない」や「TATOOあり」や松田優作系の角川映画を見ては、暴力とタフなアウトローの世界に憧れ、いつかは銀行強盗のひとつもやってみたいものだと真剣に考えていた(実際僕は、当時同級生で、将来、アメリカに渡ってガン・スミスになろうと真剣に考えていたアホの友達と一緒に近所にあった日活撮影所に忍び込んでは「西部警察」や「ザ・ハングマン」用の撮影用プロップ・ガンを盗んだり、無免でパッソルを乗り回したりしていた)。そして、僕よりもケンカの弱い同級生をつかまえて、駅前の「真光書店」で「SMセレクト」を買ってこさせたりもしていた(悪いことです)。しかし後になって、場末の映画館で「愛のコリーダ」や寺山修司の映画を見て心が洗われたせいか、僕はグッと大人になり、その結果どうしたかと言うと、「真光書店」のレジに自らSM雑誌を差し出すようになったのだった。そしてそれからさらに後年になって、相変わらず「青山ブックセンター」等で「花と蛇改訂版」などといった種類のものを購入し、読破したりしていた僕は、なんとか自分でもポルノ小説を書き、「フランス書院文庫」とかで荒稼ぎできないものかという、いたってヨコシマな野望からそういうものを書いていたことがある。ある時、僕がそのスーパー・バイオレンス・スペクタクル・エロ小説を(勝手に!)執筆していた時、何気なくふと、隣の部屋に入ってみると、親父が死んでいた。つまり僕は二時間以上もの間、親父の死骸の横でスーパー・バイオレンス・スペクタクル・エロ小説を書いていたことになる。その後、ポルノ小説家の野望は中断しているが、今、考えてみると、親父が僕に最後にくれたもの、それは「チリ・ビール」だった。人生は「泡」もあってゴクゴク飲めるけれど、そのうちぴりっと辛いものでもあるらしい。…ちょっとばかり…、いいやかなり辛いぞ、マジで。

PS. そういえば余談になるが、大人になったらアメリカに渡ってガン・スミスになると言っていた友達は、二十歳の頃に一度電話があって、何をどう間違えたのか、ガン・スミスにではなく、サッシの営業マンになっていた。(1999年頃の雑記)

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