今回のお題は『ポップ・アート』ということで、これについてまたつらつら考えていきたいのだけれど、しかしこの『ポップ・アート』というものの本題ど真ん中をこれからおさらいするのはさすがに気分ではない。
そう考えていたらかつて遥か記憶の彼方にそれらしきものを綴ったことを思い出した!
というのは学生時代に一度、そういうものを書く必要に迫られて概観してみたことがあったっけ。
懸案の『ポップ・アート』である。
そういうわけで今回はまず、中古の拙文を使ってお茶を濁しておこう。あしからず。
『僕は子供の頃、メイドを雇うなんて夢は一度も思い描かなかった.僕が夢見たのはキャンディのことだ.大きくなるにつれて、その夢は「キャンディを買えるだけのお金を儲ける」事になっていった.だって成長すればもちろん人間は現実的になるもんだからね』
1987年2月、仲間達から「ドレラ」という愛称で呼ばれたアメリカン・ポップの貴公子、アンディ・ウォーホルが他界した。
「ドレラ」とはドラキュラとシンデレラを組み合わせた造語で、彼の工房、通称「ファクトリー」に集まって乱痴気騒ぎを演じた仲間達によって命名された。
チェコ人の母を持ち、色白でどこか頭でっかちな彼の風貌と芸術家としての溢れる才気を言い得た形容である。
さらに彼は続ける。
『僕が三度目の神経病になった頃は、まだ余分なキャンディなんか買えなかった.その後、僕の仕事が成功し始めて、たっぷりキャンディが手に入るようになった.今じゃあショッピング・バッグに入ったキャンディが部屋いっぱいに置いてある.だから今、キャンディのことを思うに、僕が成功した結果、メイドの部屋じゃなくてキャンディの部屋を手に入れたってことなんだ.前にも言ったように、すべては子供の頃どんな夢を持っていたか、つまりメイドが欲しかったかキャンディが欲しかったかにかかっているのだ.あの頃抱いた夢のおかげで、僕は今、ハーシーの板チョコを見るとすごく気分が落ち着くんだ』
芸術界において60年代はまさにポップの時代だった。それは、言い換えるならアメリカが真に「世界」と同義語になる瞬間だった。
ニューヨークからアンディ・ウォーホルやジャスパー・ジョーンズ(彼やロバート・ラウシェンバーグはポップ・アート前夜、ネオ・ダダイストとして既にポップの口火を切っている)、ロイ・リキテンシュタイン、
ジム・ダイン等を筆頭に、トム・ウエッセルマン、ジェイムズ・ローゼンクイスト、クレス・オルデンバーグ、ジョージ・シーガルといった作家達が排出された。
連鎖する量産品、極彩色のコマーシャリズム、オレンジと瞳のない裸婦、バンド演奏する石膏のデク人形、鏡に笑いかけるコミックの中の少女、こうしたポップ・アートの主人公達はあの古き良き*O食のアメリカの光と陰をいみじくもシニカルに、華々しく投影して見せた。
いつしか当然のことのように世界の中心はパリからNYに取って代わった。
精神性を超えた、純粋な物質信仰が世界を制したのである。
例えばウォーホルは「僕は機械になりたい」とか「もしあなた方がアンディ・ウォーホルについての全てを知りたいと思うのなら、僕の絵画や映画や表面を見て欲しい.そこに僕がいる.その背後には何もない」と語っている。
この言葉は他でもなく、世界の表面が中心を侵食し始めたことを告げている。
というのも、彼らの作品は常に事物の実存性、または内的根拠を揺るがすというかたちで成立するからであり、そうした意図された虚飾の概念を芸術に持ち込むことこそ彼らの最も重要な企みだった。
このため、彼らのモチーフとしては、街に氾濫し、一人歩きするコマーシャルなイメージが度々選ばれた。
無論、その中には精神性といったものは無く、ただ、ある種のシンボルか、冷たく空虚なメカニズム、または即物的でオートマティックなイメージの連鎖があるだけであった。
ジャスパー・ジョーンズもまた、彼の作品「旗」について、『アメリカ国旗のデザインを使うことで、私は、多くの無駄をしないで済んだ.何故なら、私は旗をデザインする必要がなかったからだ』と言ってのける。
さて、こうしたことに加えて、ポップ・アートにはもう一つの重要な側面がある。
それは華々しく繰り返される馬鹿騒ぎと、けばけばしく下品とも言える色調の裏に隠された凍りつくような孤独の顔だ。
そしてそれこそがまさに現代アメリカ自身の顔なのである。
ポップアートにおける仮面の裏側としての「孤独」は、その表向きの喧騒がために、かえってくっきり浮かび上がってくるが、これと同質の虚無感や漠然とした不安、憂鬱といったものは他のアメリカン・アートにも共通して見られる。
これ等はおそらくパリを中心としたヨーロッパ絵画( ダダやシュール、イギリス・ポップを特異点としても )の上で語られた「孤独」とは何か異質の感がある。
例えば最もアメリカ的と評されるホッパーやワイエスにおいてもそれは顕著である。
エドワード・ホッパーの作品、「ナイト・ホークス」で深夜のコーヒー・スタンドから投げかけられた男の憂鬱な視線は、ジョージ・シーガルの石膏像達が無言で歩き去ろうとする、あの闇の深淵に引き継がれる。
端的に言ってしまえば、こうしたアメリカの「孤独」の根本は、歴史を持ち得なかった民族の所在の無さから派生していると言っていい。
民族としてのアイデンティティの希薄さはまた、アメリカの多民族国家という側面からも容易に窺い知れるだろう。
そうして孤独に覚醒し続けるアメリカの「悲劇」とは、同時に、60年代のある種の人々にとって大いに「喜劇」だったというわけである。
そこではアイデンティティ不在の悩めるアメリカは、マリリン・モンローのシルクスクリーンや紫煙を吐き出す巨大な女の唇といった馬鹿騒ぎの表層に喚喩されたのである。
かくいう、こうした60年代流アメリカ製「喜劇」の立役者こそがウォーホルであった。
彼は芸術をロリポップ(ぺろぺろキャンディ)のように舐めてしまった。
それもその筈である。彼の作品には舐めるにちょうどいい糖分と刺激が充満している。
糖はエネルギーになるし、刺激は想像力を喚起するからである。
さて、僕はどちらかというと「漫画」というものをあまり読まない。
理由は幾つかあって、そもそも「漫画」というメディアにどうも思うところがあるのである。
いや、むしろ固執は強い方かもしれない。ある頃までは僕もそれなりに漫画狂であった。
勿論、「漫画」と言っても十羽ひとからげにするつもりは無い。個々の作品自体は手軽に楽しめるものの非常に多いメディアだと思う。
でも、この手軽に楽しめる≠ニいうことがむしろ曲者で、何か表現≠ニいうものに手軽さとか解り易さばかりを求める気になれない僕にとって、その内容は、少々即物的、図式的に過ぎると感じることが少なくない。
また、概して、あのファンタジーのためのファンタジー≠ニいうような妄想世界の永久輪環には今や開放感ではなく、出口のない閉塞感を感じることの方が多いのである。
ある意味では僕は、現実から解き放たれた場所にファンタジー≠ニいう名の〈開放区〉を構築したいわけではなく、現実そのものをある種のファンタジー≠ノ見立ててそこに遊びたい方なのであろう。
そういう意味では「漫画」とは、そもそも表現としての立ち位置≠ェ微妙なのかもしれない。
ここで言う立ち位置≠ニは、現実世界からの距離のことである。
「現実からの距離」という意味では、漫画は映画よりも遥かに遠いけれど、文学や絵画よりはずっと近い。
つまり、この距離の単位は<記号性>の度合いである。
別の言い方をすれば重力感≠フ再現性と言ってもいい。
「映画(実写)」はもともと情報密度の性質から極めて現実を正確にトレースしている。「文学」は端から表現形式が記号そのものであり、最も観念的な表現形態なだけに、逆に現実再現≠ヨの衝動が強く、即物描写と内省性を立体的に駆使することでリアリティー≠獲得してきた。「絵画」はリアルに現実をトレースすることもできれば、抽象絵画のように「現実再現」とは直接関わりのない意匠も展開可能だ。
「漫画」という表現はその立ち位置の微妙さから結果的に現実トレースの意義≠ゥら外れて、独特なモラトリアム的ファンタジーの方向へ落とし込まれたのである。
ところで、僕がここで問題にしたいのは、例えば、「それでも、漫画の中にも現実感を持った作品もある」というような個別の議論ではない。
勿論、一部にはテーマ性にしろ、デテールにしろ、豊かな重力感(現実の重み)を獲得した作品は存在する。
しかし、圧倒的多数の作品は、それがそれなりにリアリティー≠持ったもののように見えても、例えばそのエッセンスをそのまま実人生にフィードバックしようなどとすれば、どうにも違和感は否めまい。
仮にそれを実行しようとしたら、「アキバ文化」を引き合いに出さぬまでも、それは妙にキッチュな人生になるだろう。
そう、僕が考える表現≠フ価値尺度とは、どうしても、現実の実人生にフィードバックし得るか否か、ということが重要なのである。
そもそも、現在の形式の漫画はその成り立ちにおいて映画の方法論を追従することから発展を遂げている。
広く知られるように、戦前は絵解き物語のようなものであった漫画に、戦後、手塚治虫が映画の構図やカメラワークを取り入れ、臨場感のあるものとした。
その後、現実トレース≠フ方向性としては、「劇画」の登場を経て、少なくとも内省的テーマ性において「つげ義春」が、即物描写性において「大友克洋」が、それぞれ極北の重力感≠獲得している。
しかし僕は、ひょっとするとこの辺りが、かつて漫画が文学や映画に真っ向から近接した最後ではなかったか、と思っている。
ともかく漫画はその後、まったく独自の形式を積み重ねることで、映画とも違う、文学とも違う、独立独歩の不可思議なモラトリアム・ワールドを開花させたのだった。
つまりそういうわけで漫画がそもそも映画の方法論を追従することから発展したものである以上、僕もある年頃になると、所詮、「漫画」など「映画」の簡易縮小版に過ぎぬ、と早計に断じたのも無理からぬことではあった。
更にこの頃の僕の思考経路においては、漫画を構成する主要要素を「文章」と「画像」に大別し、はたして漫画におけるネームや文章表現性は上質な「文学」に比較し得るだろうか?また、漫画における「画像」の質とは本流の「絵画芸術」に太刀打ちできるものだろうか?などと、思い巡らせていた。
無論、答えは自明だった。
考えてみれば、僕のこの発想は何のことはない、(今やそんな対立軸の存在すら疑われそうだが)「メインカルチャー」と「サブカルチャー」のガチンコ勝負であった。
こうして僕は「漫画」をあまり読まなくなった。
換わりに「映画」や「絵画」や「小説」にのめり込むようになったのである。
ところでこの時、「漫画」を迎え撃つ「メインカルチャー」側の大将格が、実は僕にとっての「ポップ・アート」であった。
思えば、あの賭け値なしに芸術のメインストリームでありながら、史上初めて「サブカルチャー」というものを対象化し、且つアバンギャルドたり得た「ポップ・アート」が、サブカルチャーのひとつの象徴であるところの「漫画」を駆逐するとは(現にポップ・アートは幾度となくコミックをそのテーマに選んでいるではないか)、いかに他愛ないひとりの少年の思惑の中とはいえ、皮肉なことであった。
ざっくり有り体に言えば、年頃になった僕は「漫画」よりも「ポップ・アート」のほうがカッコいいと思うようになったのである。
同時にこのことはそれ以外の美術史の文脈を見渡してみても同様であった。
セザンヌでもない、モネでもない、ゴッホでもない、ゴーギャンでもなくマチスでもなくピカソでもない。唯一「カッコいい」のは「ポップ・アート」であった。
そもそもこの「カッコいい」という価値尺度を「メインストリーム」はあまり理解しない。
いや、理解はしているがそれは暗黙の了解であって、ことさら対象化しないのである。
ある時代までは殊にそうだった。しかし「ポップ・アート」だけがこの「カッコいい」という思想を価値基準の根幹に置いているように見えた。
ここが正に「ポップ・アート」の過激さであり、文字通り、カッコよさであった。
では、ポップ・アートの「カッコよさ」とは何だろう?それは軽薄さ、毒々しさ、騒々しさ、胡散臭さ、要するに「軽さと薄っぺらさ」である。
軽くて薄っぺらいものが何がしかの意味を成す、という感覚は漫画のような「サブカル」に於いては馴染みのものであった。しかし、ひとたび、その発信源が「メインストリーム」ということになれば訳が違う。
そう言う意味でポップ・アートは本物であった。
もっとも、日本の国民性は元来、ウエットでナイーブだから、ポップ・アートのあの乾いた孤独とスピード感は本来の意味の「ポップ(共通感覚)」というには余りに異物≠ナもあった。
重厚長大から軽薄短小へ。オリジナルのポップ・アートからは時代を隔てて、僕が初めてポップ・アートの洗礼を受けたのは日本の文化人たちがそんな標語を盛んにのたまっている真っ最中だった。
僕は例のあの思想にはまらなかったのでよくは知らない。しかし、ウエットな国民が無闇に軽さ≠ネど標榜するとどういうことになるか…、これだけは解った気がした。
とりあえずアンディー・ウオーホルを見よ!セックス・ピストルズを見よ!( 『長距離走者の孤独』を読め!)これが軽さ≠ニいうものであり、ピュアさ≠ニいうものであり、気骨≠ニいうものだ、と僕は思う。
それにしても、ポップ・アートが今日の表現文化に与えた影響は、それこそ絶大なものだった。
時は流れて90年代、ネオ・ポップ(シミュレーショニズム)と呼ばれる芸術運動が勃興し、その文脈から村上隆が登場した。
「アニメ」を漫画文化の一種の派生物と考えれば、今度は村上がポップの文脈にアニメを引き入れたことになる。
それにしても、おそらくアンディー・ウオーホルやリキテンシュタインが漫画を題材に取り上げても中身≠ノ興味は無かったであろうことに対して、村上はアニメ文化を公然とリスペクトする。
と、いうことはつまり、新しい時代のポップとは、恥ずかし気もなく対象を内面化≠オてゆくものなのだろうか?
いずれにせよ、<メインストリーム>と<サブストリーム>の結界を破錠させる起爆剤が村上隆の仕事、ということは言えるだろう。