Longtail`s Cafe 昨日までの言霊

vol,3

天使が空を舞い、神の思召おぼしめしにより、翼が消え失せ、落下傘らっかさんのように世界中の処々方々に舞い降りるのです。
私は北国の雪の上に舞い降り、君は南国の蜜柑畑みかんばたけに舞い降り、そうして、この少年たちは上野公園に舞い降りた、
ただそれだけの違いなのだ、これからどんどん生長しても、少年たちよ、容貌ようぼうには必ず無関心に、煙草を吸わず、
お酒もおまつり以外には飲まず、そうして、内気でちょっとおしゃれな娘さんに気永きながれなさい。

太宰治 『美男子と煙草』より

女の眠りこけているうちに女を置いて立去りたいとも思ったが、それすらも
面倒くさくなっていた。人が物を捨てるには、たとえば紙屑を捨てるにも、
捨てるだけの張合いと潔癖ぐらいはあるだろう。この女を捨てる張合いも
潔癖も失われているだけだ。微塵みじんの愛情もなかったし、未練もなかったが、
捨てるだけの張合いもなかった。
生きるための、明日の希望がないからだった。

坂口安吾 『白痴』より

すると医者はまた、例の悟りを参照しようとするから、『いいえ、それは間違つてゐます。諦めが大事であるとはいへ、諦めがつかないことが直ちに愚かであるとは申せません。此の世に乞食はゐるものだといふことが真でも、では若干は乞食もゐるやうにすべき理由はないのと同じことでございます』と、死んだ弟を思へば、弟が身を以て感ぜしめられた事を種に、私はまたなんたる狂態だらうと、かにかくに自責の情が湧くのでもあつたが、独りゐては、あれやこれやと迷ひ夢みる私であれど、人に対しては男性的といふか論理的といふか、思ひ切りよく理性的であるのであつた。

中原中也 『亡弟』より

真面目にやったよ。それにツマラン仕事をしてるって気はあまりしなかった。
スタッフも一緒に映画をやってきた連中だしね。PR映画は俺『青春の殺人者』
撮る前に何本かやってたんだ、シノギでね。建設省のダム工事記録映画とか。
それに比べりゃずいぶん楽しかったよ。テーマがあるからな、ディレカンという。
ただ照明の水野だったかな、撮影中に言われた。「ゴジ、何こんな仕事、眼の
色変えてやってるの。映画は撮らないのかよ?」って。「馬鹿野郎、映画は
撮るさ。もちろん撮るけど……今は『店舗の改装』一生懸命に撮るんだ」と。

長谷川和彦 『映画芸術』1992年冬号転載 WEBサイト『長谷川和彦全発言』より

映画は気晴らしのための娯楽だと定義するつもりなら、私の映画は無意味です。私の映画は気晴らしも娯楽も与えませんから。もし娯楽映画として観るなら後味の悪さを残すだけです。快適で親しみやすいものなど、現代の芸術には存在しません。にもかかわらず、映画にだけは気晴らし以外の何も求めないことに慣れてしまっているのです。だからこそ、気晴らしのできない映画を観ると苛立つのです。

第23回 ぴあフィルムフェスティバル 「知られざる世界の巨匠 ミヒャエル・ハネケ」より

どこへ行くかなんて知っちゃない
ただもう ここから
はなれて行きたい
― ラングストン・ヒューズ 暁にまた一台の長距離トラックが発ってゆく。彼らの人生は、ただ走ることである。一人の運転手が、ドライブインのホステスに大きな声で叫んでいる。
「俺に手紙をくれようたって、それは無理だよ。
俺の住所は、道路だからな」

寺山修司 『書を捨てよ、町へ出よう』より

「勤め人の美術大学教授」が「生活の心配のない学生」にものを教え続ける構造からは、モラトリアム期間を過ごし続けるタイプの自由しか生まれてこないのも当然でしょう。
エセ左翼的で現実離れしたファンタジックな芸術論を語りあうだけで死んでいける腐った楽園が、そこにはあります。
世界の評価を受けなくても全員がだらだらと生きのびてゆけるニセモノの理想空間では、実力がなくても死ぬまで安全に「自称芸術家」でいられるのです。
生徒が教師になり続ける閉じた循環を奨励する雑誌の中で、「芸術家の目的は作品の換金だ」と主張できるはずがありません。その現場に教師たちが直面していないからです。つまり日本の美術雑誌とは、美術学校での活動をくりかえすための燃料に過ぎなかったのです。
芸術家も作家も評論家も、どんどん、学校教師になっていきますよね。日本で芸術や知識をつかさどる人間が社会の歯車の機能を果たせる舞台は、皮肉にも「学校」しかないのです。
文化人の最終地点が大学教授でしかないなら、若者に夢を語ってもしかたがありません。

村上隆 『芸術起業論』より

日本の場合、三代、四代遡れば殆ど皆、百姓です。つまり都市の人間ではない。そういう人たちが、近代になって突然、あちこちで自然が都市化したのに伴っていきなり都会人になってしまった。
ここでいう「都市」とは、前章でも述べた脳化社会のことです。すなわち、人間が脳の中で図面を引いて作った世界が具現化している社会のことを指します。およそ都市というのは、まず人間が頭で考えたものを実際にそこに作る、という作業から出来ています。

養老孟司 『バカの壁』より

やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君

歌の手に葡萄をぬすむ子の髪のやはらかいかな虹のあさあけ

そのなさけかけますな君罪の子が狂ひのはてを見むと云ひたまへ

ながしつる四つの笹舟紅梅を載せしがことにおくれて往きぬ

与謝野晶子 『みだれ髪』より

JISマークなんか まるで縁のない あのひとの歌声
僕にとっては この世で一番美しい音楽さ 著作権なんか まるで持ってない
あのひとの歌声 僕にとっては 世界で一番美しい音楽さ
美しい音楽が聞こえたら 言葉なんかじゃ言えやしない
涙が流れてくる 美しい音楽が聞こえたら
言葉なんかじゃ言えやしない 涙が流れてくる
きっと涙が流れてくる 僕の涙は流れてくる

ホフディラン/渡辺慎 作詞 『美しい音楽』より

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