時が流れる Baby
自由とひきかえに Baby
孤独の人生をゆく
I'm a happy man
I've too many friends
『ローリング・オン・ザ・ロード』作詞 : 東海林良
「その夢はね、どんな狩でも許されるという、素晴らしい夢だったんです」
映画『野獣死すべし』(80年版)
近頃、やることがたくさんあるような気もするし、全然無いような気もする。
わりと愉快な気もするし、全然、つまんないような気にもなる。
何とはなしに、ふと、『無能の人』(つげ義春)の中のエピソードを思い出す。
散髪をしていてつくづく思うのは、無限に生えてくる髪の毛を捨ててしまうのはじつに勿体ない。それが故、むやみに捨てることができずにいる。何とか金にすることができないものかと思案する、というものだ。
嗚呼、貧すれば鈍する。
加えてこの世は、何かしら楽しむ努力をしなければ身も蓋もない処のようで、以前、僕は友人に、君とは随分遊んだけれど、結論から言うと、ちっとも楽しくなかったな、と真っ正直に語ったところ、以後、すっぱり絶縁になったことがある。
物事は万事、愉しんだ体裁をとらなければならないし、また、決して本当のことを語ってはいけないのであった。
さて、僕は切った髪の毛という資産をこれ迄保管してこなかったので、さしあたって手元には古新聞、古雑誌の類しかない。
果たしてこれで何をしよう?どうやって愉しめばいいのだろう?
古新聞といやぁ、爺婆がやりがちなスクラップってのがある。
しかし僕は生憎と、内容に興味は無い。
だが一方、林良文という画家が以前、書いていた、道具は鉛筆しかなかったから、これを独学し表現手法とした、みたいな、等身大な生き様は大好きだ。
そういえばずっと昔、新聞の見出しを切り貼りし、無為な文言をつくって遊んだことがあったっけ。
これ即ち、言葉のコラージュ。
無関係の言葉と言葉を組み合わせて、第三の意味と響きを編み出す、一種の詩吟である。
もともとコラージュといえば、ロバート・ラウシェンバーグにアンディー・ウオーホルにピーター・ビアードに横尾忠則に大竹伸朗。
そういえば、かのグレート・マスター、湯村輝彦大先生も、コラージュすると力がつくよー、みたいなこと言ってたなー。
そうか!古新聞、古雑誌(ぼろきれは無いにしろ)、そんなものを使って何かしてみよう。そしてこれを広めて後に、NHKでカルチャー・スクールを開設し、ひと儲けするのだ!!!
などと考えながら、さっそく始めてみた。ガシガシ。
文字だけだとあれだから、図像や色なんかも着けちゃったりなんかして(広川太一郎ふうに発音)。
すると何故か、木賃宿に飾って映えるような、いい感じの生臭さ、ある種、被差別感のようなものが出てきた〜(うひゃー)。
なんで、いっそこれは、工藤栄一監督の『野獣刑事(デカ)』リスペクトということで、成り行き(勝手に)ジョイントとしてみたい。
そいでもって「竹田の子守唄」くちずさみながら、涙橋を逆から渡ってゆくのだ。
うう〜む。しかし、こういう趣旨でよかったのかな?
I'm a happy man ! これでいいのだ!