Longtail`s Cafe BACK NUMBERS

ロングテールズFILE;vol.23

詩の揚力、構造の夢 ― パナマレンコ

油彩で風景画もたくさん描いたし、クロッキー教室にも通ったし、蒔絵の体験教室にも出たから、今度は芸術、それもどうせなら現代アートみたいなことしてみたいんだけど、どんな道具を揃えたらできるんですかね?そもそも、何の技術を何処で教わればいいんですか?

と、今時、酔狂な人に問われたら、答えは、― どんな道具を使おうと、どんな技術によっても一向お構いなしさ、と受け流すしかあるまい。正味な話。

何故なら芸術とは、ありきたりとは呼べない視点、自前の生き方、つまり、独自の文脈≠ニ、あと凄まじい狂的なまでの行動力があって始めて結果的に$ャ立してしまうものだからだ。それもあくまで、鑑賞側の客観的見識≠ノよって。

土台、これは、美術・工芸一般のような、訓練してどうこうするような技術論とは似て非なるもの、というか、かなり遠くのものである。

一方、当の現代美術によくある風景として、やたら社会に問題提起してみたり、本来、小さな物をひたすら巨大にすることで、その位相のぶれを飽きもせず楽しんでみたりと…、まあ、それらが文脈≠ノ包括される必然的なものならいいが、どちらかというと訳もなくジャーナリスティックであったり、単に、乃村工藝ばりのアイデア造形マン&翌ナあったりと、これもまた、何だかなあ、と思わせられるケースもままあるのであった。

大体、今や、何をもって芸術と見なすか、なんて問うこと自体、少々(いや、大いに)、現実感に欠ける。
何故なら、今のところ、どこまで行っても、「ネット」というものの在り方を超える芸術性≠ネど誰にも想像できないからだ。
非日常的テクノロジーが実現する日常≠フ衝撃を目のあたりにして、多分、多くの芸術家と呼ばれる人たちはげんなりしてしまったのであろう(まあ、そんなことはあんまり言わないけどね)。

今日という時代は、芸術家個人の文脈どころか、「芸術」そのものの文脈自体が無意味化しているようにさえ見えるのである。

もっとも、初めから、あれは芸術、これは芸術とお仕着せられるのもまっぴらな僕などは、それこそ、自分の文脈の中で勝手に重要と見なす表現が種々雑多、既に記憶の中でカオスに威光を放っていることの方が重要であり、またそれ自体、既に芸術的≠ネことだと思っている。

話は変わるが、かつて僕はやたらと画集・写真集の類いを漁ることに人生を費やしていた。
池袋西武のアール・ヴィヴァンあたりに通っては、「スタジオ・ボイス」に負けじと、エッジな先物≠フ洋書などパトロールして回っていたのである。

そう言えば、画集・写真集に纏わる思い出として、僕には過去三度ほど、ちょこっと痛恨の思い出があった。
まあ、痛恨といっても、単に、あれ、買っときゃよかったなあ、と後々思ったという、よくある話だ。

ひとつ目は僕が学生の頃、神田の変哲もない古本屋で篠山紀信の写真集『晴れた日』を見つけた時。
値段見て、わかっちゃいないなぁ、こりゃあ掘り出しモンだ!と思いつつ、何を思ったか30分、目を離したらもう無かった。
後で、店のオヤジに、ここに確かあったよね、と訪ねたら、ふぅ〜ん、てな顔されたっけ。

ふたつ目は、1992年にBunkamuraザ・ミュージアムで開催されたベルギーの現代美術家、パナマレンコの展覧会カタログ。
当時、僕はこれを会場で購入せず、しかしどういうわけか、これまで度々、このパナマレンコという作家が気になるというか、ぶっちゃけ、あれは何だったんだ?との思いがよぎる瞬間があったのである。
あの時、カタログくらい買っとけばなぁ…。

みっつ目は大竹伸朗『全景展』(2006年、東京都現代美術館)のあの伝説のカタログ。
これは、当時、掲載作品の余りの膨大さから編集が間に合わず、完全予約注文となったところ、展覧会会期中どころか約1年近くも出荷が遅れ、出来上がった時には電話帳くらいのぶ厚さになっていたという曰く付きの物件である。
僕はこれを気楽な気持ちで何となく£黒カしなかったわけだが、しかし、当初注文しておけば、出荷が遅れたお詫びとして作家限定アート・ワークやらオリジナルCDやらのおまけ付きで、確か相当、お安く購入できたはずである。
あ〜あ。おいらのバカバカバカ。買っときゃよかった!(と、当時は激しく悔恨したけれど、実はこれはその後も出版され、モノにしてはそう高価でもないです。バンザーイ!)


で、近頃また、パナマレンコについてどうも思うところあって、件のカタログをネットで詮索してみた。
すると、思った通り、稀少そうではあったけど、何とか入手することができたのである。

しかし、今更ながら恐ろしい時代になったな〜。昔を考えれば、大抵の物はネットで買えるものな。そして、大抵の物はいらないこともよくわかったよ。まあ、余談ながら…。

さて、パナマレンコである。

パナマレンコ。このアーティストの変な名前の由来は、今は無きアメリカの航空会社、「パンナム」からインスパイアされている。
何故なら、彼の作品の中軸を成すテーマとは、なんというか、航空力学に捧げられるイコン、とでも呼ぶべき、誠に奇妙奇天烈なものだからだ。

一口に言って、パナマレンコとは、越境するアーティストなのである。

アートとサイエンスの狭間を(もしかしたら)ダビンチ以来、絶後のマッド・サイエンティストとして、軽やかに滑空しているわけである。

このことは、敢て多くを語るより、前掲のカタログから彼の年譜を眺めてもらえれば、なんじゃこりゃ!と、そのトンデモぶりが、そこはかとなく理解されることと思う。以下、引用。



略年譜  J.S.ストループ編

1940年、ベルギーのアントワープに生まれる。

1955年から1960年までアントワープの王立美術アカデミーで学ぶ。この間、市の科学図書館で自然科学に関する幅広い知識を独学で吸収する。

1960年、ピンボール・マシーンをデザイン・制作する。
後に、アントワープ国立高等学院の非公式の学生となり、1964年には雑誌『ハプニング・ニュース』の編集を始め、これを継続する。

1966年、新しくできたワイド・ホワイト・スペース・ギャラリ−で、彼自身がハプニングを行う。《雪とブーツ》、《アイスクリーム》などの詩的オブジェを制作・展示する。

1967年、最初の「飛行機」を制作。

1968年、フリー・アクション・グループ・アントワープ(V.A.G.A)とともに、街の中心部に自動車のフリー・ゾーンを創るなどのアクションを企画。

1969年初頭、ニューヨークに3ヵ月滞在し、大きな小麦粉精製パンとT-ボーンステーキを楽しむとともに、「閉ざされた体系」に関する独自の理論を展開させる。

1969年6月21日、飛行船制作の計画を発表。2年後の1971年6月26日、ベルギーのバーレン=ネット村で、《アエロモデラー》の気球に水素ガスを注入する。

1972年、人力飛行機《U-コントロールV》のテストのために、クランフィールド科学技術学院に行く。

1972年から1975年にかけて、オランダのベルケイクの町で大半の時間を過ごし、《アエロモデラー》を再制作。
さらに、《人力デルタ飛行機》、《コンチネンタル》、ゴム製の自動車《ポリステス》を制作する。

1975年、『重力のメカニズム、速度変化の閉ざされた体系』を出版。この書物は、「閉ざされた体系理論」「昆虫の飛翔(昆虫の内部から見た)」「人力ヘリコプター」「U-コントロ一ル」「ポリステス(ジェット推進機付きのゴム製の自動車)」「スコッチ・ガンビット」「大型高速飛行ボー卜」に関する彼のエッセーにより構成されている。

1977年から1983年にかけて、彼は磁場と磁力宇宙船の可能性に関する研究を主な関心事とする。

1984年以降、彼は空飛ぶリュックサックを幾つか制作する。このために彼は円盤型モーターを開発する。

1988年、彼は電気仕かけの鳥の制作を開始する(最初の《始祖鳥》は1990年9月に発表)。

1990年6月、新しい潜水器具の《カツオノエボシ》のテス卜のためモルディヴに向かう。

1990年9月、ツメバケイ(南米産の鳥)を探しにペルーに向かう。

1991年6月から9月にかけて、《K2級外高度7,000メートル飛行パナマレンコ自動車》という空飛ぶ自動車を制作。

中村隆夫訳



以上、おわかり頂けたように、パナマレンコという人のやることは、大筋に於いて、わけがわからないのである。

大体、パナマレンコというのは、広く(?)一般的に、芸術家として知られていると思う。
しかし、この年譜によれば、彼は、1960年に何故か、ピンボール・マシーンをデザインする辺りから頭角を現し、一時期は「ハプニング(パフォーマンス・アートを包括する芸術運動)」などに傾倒していたようだが、1975年には何と、『重力のメカニズム、速度変化の閉ざされた体系』なる科学書めいたものを上梓し、また突如、南米ペルーまで鳥を探しに行ったり、果ては空飛ぶ自動車を制作≠ニいう力強い断定の元にこの年譜は閉じられている。

ドクター中松かよ、と独りごちてしまいそうな、一見すると、何処までが本気で、何処までが冗談なのか皆目判断付き兼ねるスタンスである。

しかし、言うまでもなく、そこには文明批判ごかした笑い≠フパフォーマンスなど仕組まれているわけではない(明和電気とは違うわけだ)。
本人は至って真面目である。
陳腐なパロディや穿ったシニシズムとは徹頭徹尾、無縁であり、何よりそこが面白い。

つまり、アートっぽさという垢(あか)を纏わぬ無垢なる創造の夢。

もとよりそれを美学か科学か?などとカテゴライズすることをこの作家は意に介さないだろう。元々、古典絵画の世界では、自然科学も芸術も、きれいに地続きのものだったのである。

元来、美とは、この世の成り立ち、つまり構造≠ノある。
パナマレンコという作家が見たてた夢もまた、この「構造」そのものなのであろう。

そういう意味では、パナマレンコの仕事とは、現代アートの定義の拡張であると同時に、原点回帰と言うこともできる。
また、彼の構造体≠駆動させる最終的な動力源が、合理性≠竍目的≠陵駕する、実に詩の揚力≠ナあったことこそ、決定的なアイデアだったと思う。



思えば、パナマレンコというのは1960〜80年代当時の、(ある種プリミティブな)原初的マシン・コンプレックスの世代である。
クラフトワークやシド・ミードのビジョンを擁し、ジョブズやゲイツのような現実のハイテック・ヒッピーズ達が狼煙を上げ始めた時代。
それは、サイエンスというものが、例えば「アポロ計画」に象徴される純粋にセンス・オブ・ワンダーだった頃の未来主義であり、文字通り、科学や未来が象徴≠サのものだった時代の息吹の一端なのである。

だとするならば、未来を手にする≠ニいう言葉の論理矛盾を指摘するまでもなく、あるいは『2001年宇宙の旅』が現実の2001年を過ぎても未だ決定的な未来像を示しているように、パナマレンコの編み出したモックアップ芸術≠ニいう形式もまた、論理的に到達し得ない可能性と不可能性のロジックを内包している意味で、まだまだ今後も、僕らを魅了し続けることだろう。

それにしても、…である。 今や、あらゆる分野で枠組みが崩壊、ないしは再編され始めている昨今、正直、我が国からは益々、パナマレンコのような、はっちゃきにしてスケールのデカい、怪しい粋人が成立し難い趨勢になっているように思われる。

言うまでもなく、管理社会が高度化すればする程、面白い芸術とは相容れなくなって来るわけだ。

あるいは、日本人というものの気質の問題か…。

何しろ我が民族ときたら、万事が万事、物事を潔癖にコントロールしたがる。
綺麗にまとめて、おまけに落ち≠ェ付くことが最善のことと思い込んでいるのである。

ところが、芸術家というものは、どうしてもコントロールし切れない虎≠飼うことがその本領なのであって、また、そういうよんどころない変な人を鑑賞する行為が文化なのである。

そういう意味では、まあ、上手くつくればいいというものでもないし、単に、型にはまった「大喜利」のようになっちまったら身も蓋もないのが芸術なのである。

いやはや、むつかしいもんだな〜、芸の道ってのも…。

大きな作品、小さな作品…。極私的であることも偏愛家としての要素!!『そこから宇宙が見えるかい?』
panamarenko
パナマレンコ
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